(この資料は 2012/03/10 のサークル内読書会(鑑賞会)の資料です。)

概要

今回の読書会は、趣向を変えて小説ではなく映像作品を採り上げる。と云ってもミステリ映画やドラマではなく、モンティ・パイソン1とラーメンズ2のコントが今回の題材である。担当者が独断と偏見で「これミステリっぽい!」と思った作品を選び、幾つかに分類したDVDを観ながら適宜雑談を挟む形で進んでいく予定だ。あれもこれもと入れていった結果、全編あわせると約150分超の超大作になってしまったので、時間と相談しながら適宜省略しつつ観ていきたい。いちおうこれでも削ったんですけどね。

その割に、ミステリとするには苦しいネタや、単にミステリっぽいタイトルだからと云う理由で採られたコントも幾つかあるが、そこはそれ、「ぽい」ものを如何にミステリにコジツケて語れるかと云う実験と思って頂きたい。ひと頻り笑った後ミステリとの関連に思いを馳せるもよし、全然ミステリじゃないじゃんと不平を垂れるもよし、あるいは笑いだけに専念してミステリ談義は寝ててもよし。そんな感じで。

※以下にはコントの根幹に係わる重大なネタバレが含まれているため、楽しみを取っておきたい人はコントを観てから読んでください※

可愛い顔してアンチテーゼ

笑いの中にミステリに対する批判精神を孕んだ、或る種の「アンチ・ミステリ」達。

★時刻表ミステリの墓標: Railway Tables(04:53)

社会派ミステリが台頭した後も、時刻表の複雑な穴を突いたアリバイ・トリックの中に本格ミステリは生き残っていた。社会派的リアリズムと鉄道は相性が良かったのかもしれないし、或いは、複雑化した交通網に依拠する時刻表トリックが複雑化する社会構造をよく反映していたのかもしれない。とにもかくにも、『時刻表トリック』と云う言葉が定着する程には、鉄道や飛行機の時刻表を使ったアリバイ・トリックは一般的なものだった。今でもトラベル・ミステリとかで使われているのかな?よく知らない。しかし、そんな時刻表トリックも、本格の世界ではもう新奇性がないせいか、近ごろ余り見掛けない。最近(といってももう12年も前だが)では麻耶雄嵩『木製の王子』の複雑なパズルのような「アリバイ崩し」によって完全に止めを刺された感がある。

しかし翻って、海の向こう、本格ミステリの故郷・イギリスでは、実に40年以上も前に既に死亡が宣告されていたのである──そう、このスケッチによって。如何に複雑巧緻な時刻表トリックが弄されていたとしても、登場人物が揃いも揃って鉄道オタクばかりであれば何の用もなさない。時刻表トリック、追悼(-人-)。

鉄道オタクであれば崩壊する、ということは裏を返すと、崩壊するには専門知識が必要であるということだ。単に一般人の知らないような時刻表の穴を突いたトリックをのうのうと説明されても、よほど明快なものでないかぎりピンと来づらいし、「だからどうしたの?」と云う感じがする。余りに専門的すぎる時刻表トリックは最早専門知識の範囲内であり、それまでの手掛かりでロジカルに解けるものを越えうる。

未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない

探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない

Wikipedia より)

と云う、ノックスの十戒にちょっと該当してしまいそうだ。まあ、ノックスの十戒を引くまでもなく、専門知識で解くようなミステリは余程上手くやらないと退屈になってしまうのはよくあることで、時刻表トリックもその類い、と云うことだろう。

☆アンチ怪盗: Dennis Moore(3:33、5:05、2:35、1:27)

不可解な殺人事件の解明を主眼とするミステリにあって、怪盗ものと云うのは或る種転倒した形式であると云える。無論、倒叙ミステリも犯人側の視点からの作品だが、大抵の場合最後には犯罪が発覚し勧善懲悪が果たされる。怪盗ものの場合、怪盗視点でないものも多くあるし、捕まってもそこからの脱出が描かれ、結局勧善懲悪は果されない。

ここに、怪盗ものの抱える危うさを見ることも出来る。怪盗を怪盗たらしめているのは、「怪盗紳士」「犯罪美学」と云う言葉もあるように人を殺さず、いわば芸術としての犯罪を追求していると云う点であると云える。そうした怪盗の中には、富めるものから奪い貧しいものに与えると云った、「義賊」的な活動をすることで寧ろ正義的な役割を付加されているものもいれば、意味のあるものは盗まないと云う規律を課す怪盗もいる。

そして、その危うさを指摘しているのがこのスケッチである。富めるものから奪い、貧しいものに与える──それは福祉国家の方法論である。そして、この「富の再分配」は非常に難しい問題であることは社会学を学ばずとも現在の社会状況を見ればよくわかる。そうした「危うさ」の観点から怪盗の在り様を批判したのがこの作品であると云えるだろう。素朴な義賊から、気付かない内に富の格差を拡大させていた、というこのデニス・ムーアの姿を見て、ブラウン神父の次の言葉を思い出さずにはいられない。

「おまえさんは、まだ若さと名誉心とユーモアがある──が、こんな商売(注:怪盗)では、せっかくのそれも永続きせん。人間というものは、善良な生活なら一定の水準を保つことができるかもしれぬが、悪事の一定水準を保つなんてことはむりな相談なんだよ。(中略)おまえさんはよく、卑劣なまねはいっさいしないと大見得を切っていたものだが、今夜は卑劣なことをやっている。(中略)しかし、このままでいけば、もっと卑劣なことをするようになる」

(『ブラウン神父の童心』pp.129-131)

ミステリっぽい

ミステリのような物語展開を取っている、ないしミステリっぽい部分のある作品群。

★採集(26:01)

笑いの中に仕込まれた伏線の妙。視点人物の不安感が段々に増してゆき、その落差で笑いを産むことに成功している。余りに非現実的でばからしい理由で殺されようとしている視点人物の突拍子もない行動が逆に笑いを産んでいる。

☆小説家らしき存在(13:50)

この作品でも、不安感と笑いを交互に挟むことで面白みを増幅させている作品である。作家「常居次人」の正体を巡る真相はなかなかヒネクレたミステリのようで、書こうと思えばこれで長編も書けそうだ。「小説家らしき存在」と云うタイトルも真相を知ってみると実に示唆的だし、紙飛行機の「二億一機目」は、百一番目の「常居次人」を暗示する伏線のようにも取れる。

☆不透明な会話(15:18)

ラーメンズお得意の「屁理屈」じみた会話が産む笑いの妙。特に謎があるわけでもないが、信号の常識や、透明人間の存在を屁理屈で覆してみせる精神は、チェスタトンや泡坂の逆説趣味に通じるものがあると云える。ミステリで探偵が仕掛ける「逆トリック」も良くみるとこのレベルの屁理屈だったりしてしまうこともありそうだ。

エアメールの嘘(16:31)

小林がエアメールの「嘘」を鮮かに暴いていくシーンがちょっとミステリっぽいと思った。専門知識を使ってしまっているようにもみえるが、裏を返せば「科学的知識」をどこまで仮定していいのか?と云う問題に通じて、中々難しい問題だ。

お約束

見ようによってはミステリのお約束を茶化しているように観えなくもない作品群?

探偵は遅い: The Bishop(05:03)

えっとー、探偵が事件を解決するまで時間掛かりすぎだと思うんですよねー。早く事件解決してればこんなに人死ななくて済んだんじゃね?みたいな?笠井潔は「事件に探偵が影響しないように」とかって言い訳してますけどー。あるいは麻耶は銘探偵が自身の楽しみの為だけに解決を延期しちゃったりしてますけどー。ビショップはー、なんかー、観ててそういうの思い出しません?ませんかー。

☆探偵は迂遠: Inspector Tiger(06:12)

いっつも思うんですけどお、探偵って勿体振りすぎだとおもうんですよぉー。「単純過ぎる」とかってぇ、単純でいいじゃないっすかー。言い回しとかも遠回しすぎませーん?

★みんな鈍い: Court Scene with Cardinal Richelieu(8:34)

いや、そこはもう気付くっしょ、みたいなところで登場人物驚いてたりするし(笑)。
あー、この文体もう疲れた。

探偵は迂遠と云うか、ややこしく考え勝ち、みたいなさっきのお約束は、ここの弁護士の「駐車違反?それが何です!この難事件は僕が解いてみせます!」と云う台詞でもバッチリ揶揄されている。刑事ディムの「君たちはかなり頭が悪いようだな」は頭よすぎる探偵の決まり文句みたいなところがありますが、今回に関してはみんなミエミエの嘘に騙されてると云うところが転倒しており、良い感じに皮肉が効いていて素敵。 探偵役によるどんでん返しや(余りにもショーモナイ)「逆トリック」もあるし、もうこれ立派なミステリでいいんじゃないですかね(適当)。

この「何でお前らそれでマゴついてたんだ」と云う状況、叙述トリックものだとよくある事態だ。読者にはわからなくても登場人物視点では明らかに過ぎるような真相でも見逃がされていたりする。類似の例としては、麻耶雄嵩が『本ミス』の「ミステリ映画マニアックス」に挙げていた『遠山の金さん』第11回がある。

鬘を被っただけでオランダ人と云い切るのは無理があるだろと、お約束のツッコミを入れながら観ていると、お白州で片肌を脱いだ杉良が「お前は偉人の返送をして詐欺を働く有名なお尋ね者だな!」だなんだと云って、天本の正体が日本人のヤクザ者であることを喝破してしまう。(中略)視聴者には最初からあからさまなのに、ドラマだからという先入観のため、杉良が指摘するまで真相に気付かない。見事な叙述?トリック。

(『2009 本格ミステリベスト10』P.96)

似たようなものでいくと、ばいきんまんの変装が剥れたときにみんな驚く、みたいな。

ソレ系のアレ

お察しください。一気に観ましょう。

本人不在(11:56)

散々公共放送の集金練習風景を観せておいて、中盤あたりで実際には偽物であることを明かす、と云う完全なる叙述トリック。今まで築き上げてきた世界観を突き崩すことで、大きな笑いを産んでいる。こうした手法は、「study」を初め他のラーメンズの作品でも見出すことが出来る。

演劇と云う表現空間は、素舞台に身振り手振りだけで、あとは観客の想像力で全てを創造する。そこに叙述トリックの付け入る隙があるのではないか、と云うことを(この作品とは関係なく)思ったりする。

★Kilimanjaro Expedition(4:52)

オチのところまで何でこれを選んだのか解らなかったと思う。映像ならではの「視点の問題」を示唆している。ミステリ小説には「地の文」の概念がある訳だが、舞台や映像では「地の文」がきちんと定義出来るのか?と云うのは自明ではないだろう。最後で急に切り替わった卿の視点と、最初からのアーサー・ウィルソンの視点の、どちらが「本当の視点」なのか、と云うことはこの映像だけからは決定出来ない。ミステリのいわゆる「信頼出来ない語り手」問題との関連をこの作品に見出すのは無理のあることではないだろう。

★銀河鉄道の夜のような夜(22:17)

これだけ上の二つと区別してトップに用意したのは、偏にこの作品の持つ魅力を損いたくなかった為である。ミステリとしては或る種反則と云える真相でも、舞台で周到に伏線を張り、演技を磨き上げることで完全に正当な叙述トリックとして成立し得ると云う好例である。なおかつ、そのトリックを外して実際の風景を再度描写してみせることで、その隙間を効果的に意識させ、何とも云えない情感を生み出すことに大成功している。叙述トリックとその解明の両方をこれほどまでに鮮烈に描き出し、物語を立ち上げることに成功している例を私は他に知らない。

結論

こうしてレジュメを書いてみて思ったのは、コジツケでも何かしらミステリを語ると云うことは案外可能である、と云うことだ。日頃からミステリな眼で他の作品を観てみると、普段とは違った発見があるものだ。

こうしたのはラーメンズの脚本を手掛ける小林賢太郎の「何でも面白がる」視点と共通するものがあるだろう。ラーメンズのコントが驚きや落差による笑いを追求しているものが多いのも、この逆向きの視点の一致によるものかもしれない。余りに驚天動地のトリックすぎて笑ってしまうような、いわゆる「バカミス」の存在も、こうした共通性を暗示しているように思える。

出典・参考文献


  1. 40年程前コント界に革命を起こしたイギリスの六人組のコメディ・グループ。メンバーは現在もなお欧米の文化に影響を残しており、例えばスパム・メールの語源になっている。↩︎

  2. 現在劇場を中心に活躍する片桐仁と小林賢太郎のコント・ユニット。言葉遊びや屁理屈、あるいは物事を他の視点から捉えることによって独特の笑いを追求している。↩︎


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